ガンダムとザクの画像

なぜわかり合えない?

ガンダムの話をしたい。みんなどうせ連休中暑くてすることないから暇でしょ? なので、まあ、お付き合いいただきたい。

今日は、ガンダムシリーズでしばしば語られている「人は分かり合える」というテーマについてのお話。この「分かり合える」がしっくり来るキャラクターは、ガンダムだと大体ニュータイプだ。たとえば初代『機動戦士ガンダム』だと、アムロとララァの2人がすぐに思い浮かぶ。

双方が惹かれ合っているのは、劇中描写を見れば明らか。しかし、アムロは連邦軍のパイロットで、ララァはジオン公国軍MAエルメスパイロットだし、シャアとも良い仲だ。立場が違い過ぎる。

ところがこの2人は、劇中でも屈指の強い感応力で惹かれ合って、戦いながら精神の会話が成り立つレベル。この”会話”は、かなり美しい描写で描かれ、ビジュアル的にも双方の心の移り変わり、同様も大変分かりやすい。

しかし2人の関係は悲しい終わりを迎える。ララァはシャアをかばってアムロの攻撃を受け、命を落としてしまうのだ。分かり合える。だけど結果的に敵対し、どちらかが命を落としてしまうことは避けられなかった。(文:松本ミゾレ)

【ガンダム】メガ・バズーカ・ランチャーを外すシャアはヘタレ? 実際の戦果を確認してみると……

「分かり合えてないじゃん」?

先日、2ちゃんねる「ガンダムって毎回『人は分かり合える!』とか言って、次の作品で戦争してない?」というスレッドが立っていた。

スレ主は「宇宙世紀毎回これ。分かり合えてないじゃん」とも書き込んでいる。アムロも結局、ララァを倒してしまっている。人が本当に理解し合えるのなら、戦争も起きないはず、という意見も分からないでもない。

僕自身、このスレ主にどう答えていいかわからないんだけど、スレッドには色々な切り口の声が寄せられていた。ちょっといくつか紹介していこう。

「分かり合えたら争わへんってわけやないやん」
「今はまだ分かり合えないけど、それでもいつの日か人が宇宙に適応し分かり合うことを目指し、それでも戦っていくんや」
「分かったって、考え方を変えるわけではないからな」
「分かり合える人より腐敗した連邦や反抗勢力で分かり合えない人達の方が大多数だからね」

こんな具合で、様々な意見がある。

「あなたの来るのが遅すぎたのよ」

考えてみると、アムロとララァが分かり合えたのは、ある意味で最前線の、それもニュータイプの特権みたいなものだった。感受性の高い者同士で直接ぶつかって、刺激を受けて、だから本当の意味で分かり合えたって側面はあるような気がする。

でもそういう人ばかりじゃないのは、まあ当たり前で。たとえば、理解し合ったアムロとララァの2人が「だからもう戦争を止めましょう」と言っても、そう簡単には行かない。前線のパイロット同士の相互理解で終戦となるなら、そんな都合の良い話もない。

ここは現実と一緒だろう。戦争状態の国の双方にだって、きっと友人同士だった者たちはかつて大勢いたことだろうし。

それに、僕らは『機動戦士ガンダム』をどうしても主人公視点で観てしまっているけど、アムロって、ジオン公国からすれば自軍のパイロットたちを大勢死なせてきた悪魔である。その悪魔が、いくらエルメスパイロットと精神的に感応したといっても、他のジオンの人たちはピンとこないだろう。まして連邦の白い悪魔に撃たれた者の父母の果たして何割が、アムロを許すのか。

アムロとララァの2人は最終的に相互理解をしたが、その理解は一年戦争をどうこうするレベルには至らなかった。ララァも「あなたの来るのが遅すぎたのよ」と言っていたけど、もう少し早い段階でアムロとララァが出会ってさえいれば、殺し合いの渦中で理解し合うという最悪の事態は防げたのかもしれないし、戦争の行方も変わっていたのかもしれない。

ガンダムシリーズは何故「人は分かり合える」と言いつつ毎回戦争をするのか


(出典 news.nicovideo.jp)

結局はわかりあえないってこと??

<このニュースへのネットの反応>

戦争いけないよ。人は分かり合えるよ。ってテーマの作品の大ファンたちが毎回争ってるからな


それもこれも財団Bが悪い


そりゃ拳で語り合うことで魂の会話が出来るからな


お禿げが他人とわかり合う気無いからじゃない?


個人同士が分かり合うことと、組織間の利益の対立は別次元の話だから。


商業作品として戦争しないといけないからってメタな話はさて置き、個人として分かり合えても組織に属する者としては立場や利益で対立せざるを得ないって事は間々在る。


そもそも相互理解じゃなくて相互不理解のお話なんだし


いや普通に作品として『人と人とが分かりあうことが難しい世界』じゃないと『誤解なく他人と分かりあえる人』というニュータイプの概念が全然引き立たんやんけ。それが普通にできてる世界観ならテーマとして成立せん。


分かり合えるっていう「希望と絶望」「理想と現実」の戦いやからな。他者とだけでなく、己自身との戦いでもある。


分かり合っても譲歩できない事があるからね仕方ないね


松本君のようにお零れをもらって喰えるから終わらない。


国民にありもしない憎悪で洗脳して戦争を煽りたて、自ら手を汚さずに利益や達成感を啜って生きている巨大な蛭が黄色い熊のぬいぐるみの中に潜んでいるんだよ。


争いをなくすのは“満足”であって、理解の有無じゃないからだよ。


分かり合っても、理解した相手の考えに賛同できないから対立する。 思想・立場によって主張が違い、敵対する相手とは距離を置いて極力関係(利害も含む)を持たない事でのみ、争いを避ける事ができる。


理想を唱えてる事と現実は別だからね。人類の戦争の歴史を見て来い!有史以来、一度も「ペンは剣に勝った事が無い」。


わかりあえても譲れないものが邪魔するんでしょ


お禿げの掲げてるテーマって「人は分かり合えない」じゃなかったっけ?


日中韓が仲が悪くても、日中、日韓の国際結婚が多いのと同じってことねw


ああ^~分かり合ってる相手と気持ちよく遠慮なく奪い合って殴り合って*合いたいんじゃあ^~


キャリコネとはわかり合えないのです